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        <title>中国語 on 転職13回の氷河期世代</title>
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        <description>Recent content in 中国語 on 転職13回の氷河期世代</description>
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            <title>中国語で掴んだ東京の就職。でも23歳の私は、眠れなくなって1年で帰った</title>
            <link>https://ice-gene.com/post/first-job-tokyo/</link>
            <pubDate>Wed, 01 Jul 2026 00:00:00 +0000</pubDate>
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            <description>&lt;p&gt;新卒で入った東京の会社を、1年で辞めた。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;留学で身につけた中国語を武器に、それなりに華々しく社会人生活を始めたはずだった。でも1年後、私は眠れなくなり、電車にも乗れなくなって、逃げるように地元へ帰った。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;これは、私の社会人スタートの話だ。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;h2 id=&#34;中国語が就職の武器になった&#34;&gt;中国語が、就職の武器になった&#xA;&lt;/h2&gt;&lt;p&gt;2000年、23歳。&lt;a class=&#34;link&#34; href=&#34;https://ice-gene.com/post/beijing-ryugaku/&#34; &gt;北京大学に1年留学した&lt;/a&gt;あと、大学を卒業して就職活動をした。時代は氷河期のど真ん中。それでも、中国語は確かに武器になった。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;面接では、当然のように留学の話になる。「HSK（中国語の検定）5級を持っています」と言い、正式名称の「漢語水平考試（ハンユー・シュイピン・カオシー）」を中国語の発音で言ってみせると、面接官が「おおっ」と反応する。留学中に中国をほぼ一周した旅の話も、いつも食いつきが良かった。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;内定をもらえたのは、東京の医療機器メーカー。超音波診断装置を作っている会社で、中国をはじめアジアと取引があった。貿易部への配属。中国語をやっていなければ、たぶん入れていなかったと思う。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;h2 id=&#34;意外と中国語は使わなかった&#34;&gt;意外と、中国語は使わなかった&#xA;&lt;/h2&gt;&lt;p&gt;ところが、実際に働き始めてみると、思っていたのとは少し違った。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;私が主に任されたのは、&lt;strong&gt;香港向けの保守業務&lt;/strong&gt;だった。中国とのやり取りは、あいだに日本の商社が入っていたので、自分が中国語を話す場面はほとんどない。香港とのやり取りは、中国語というより&lt;strong&gt;英語&lt;/strong&gt;が中心だった。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;ここで初めて、&lt;strong&gt;ビジネスコレスポンデンス&lt;/strong&gt;（英語のビジネス文書のやり取り）というものを経験した。留学で身につけた中国語ではなく、英語で仕事をする——想像していなかった展開だったが、それはそれで新鮮だった。ベトナムとの取引もあったが、こちらはスポット的で、たまに関わる程度だった。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;仕事の中身は、故障した製品の対応が中心だ。とはいえ現物が本社に届くことはあまりなく、故障の内容もだいたい決まっていた。&lt;strong&gt;プローブ（超音波を出す部分）の不具合か、基板の故障&lt;/strong&gt;。そのどちらも、修理ではなく交換で対応する。新人だったこともあり、現地への出張はまだなかった。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;華やかな「海外と仕事」のイメージとは違う、地道な事務仕事。でも、社会人一年目としては、こういうものなのだろうと思っていた。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;h2 id=&#34;トマトと卵の炒め物&#34;&gt;トマトと卵の炒め物&#xA;&lt;/h2&gt;&lt;p&gt;この会社で、忘れられない出会いがある。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;中国から技術研修で来日していた、40〜50代の男性。超音波診断装置の技術者だったか、研究者だったか。その人のサポートも、私の仕事のひとつだった。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;寮が一緒だったので、たまに様子を見に行った。彼は日本語があまりできなかったから、会話はもっぱら中国語。留学で覚えた中国語が、こういう形で役に立った。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;あるとき、彼に中国の家庭料理を教えてもらった。&lt;strong&gt;西紅柿炒鶏蛋（トマトと卵の炒め物）&lt;/strong&gt;。私の好きな中国料理で、リクエストして作り方を教わった。異国で働く中年の彼と、社会人になりたての私。言葉も立場も違う二人が、寮の台所でトマトと卵を炒めている。今思い返しても、あたたかい記憶だ。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;h2 id=&#34;でも東京で心が折れた&#34;&gt;でも、東京で心が折れた&#xA;&lt;/h2&gt;&lt;p&gt;順調に見えるかもしれない。でも、内側では少しずつ崩れていた。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;&lt;strong&gt;学生と社会人のギャップ&lt;/strong&gt;に、私はうまく適応できなかった。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;はっきりした大きな出来事があったわけではない。ただ、じわじわと追い詰められていった。夜、眠れなくなった。&lt;strong&gt;不眠症&lt;/strong&gt;だ。眠れないまま朝を迎え、体調を崩していく。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;そのうち、&lt;strong&gt;電車に乗れなくなった&lt;/strong&gt;。動悸がして、息が苦しくなる。今でいう&lt;strong&gt;パニック障害&lt;/strong&gt;だ。でも当時は、そういう病名すら一般には知られていなかった。自分の身に何が起きているのか分からず、どう対処すればいいのかも分からず、ただただ困り果てた。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;東京には、人はいくらでもいる。でも、私には頼れる知り合いがほとんどいなかった。寮で一人、この巨大な街で暮らしていくことが、だんだんきつくなっていった。&lt;strong&gt;東京砂漠&lt;/strong&gt;、という言葉が、あのときほど身にしみたことはない。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;世相も、どこか暗かった。1999年から2000年へ。世紀末という言葉が流行り、世間を騒がせる事件も続いて、終末論めいた空気が漂っていた時代だった。若い私の不安を、時代の空気がさらに重くしていた気がする。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;h2 id=&#34;1年で地元に帰った&#34;&gt;1年で、地元に帰った&#xA;&lt;/h2&gt;&lt;p&gt;結局、1年で会社を辞めた。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;心と体が、これ以上はもたなかった。無理を続けて壊れてしまう前に、東京を離れて地元に帰ることにした。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;華々しく始めた社会人生活の、あっけない幕切れだった。当時は「逃げた」という感覚もあったと思う。人からは「都落ち」と言われたこともあった。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;h2 id=&#34;あれから振り返って思うこと&#34;&gt;あれから振り返って思うこと&#xA;&lt;/h2&gt;&lt;p&gt;今になって思うのは、&lt;strong&gt;あのとき帰る決断をして、よかった&lt;/strong&gt;ということだ。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;心を壊してまで、しがみつく必要のある場所なんて、どこにもない。若い自分は「1年で辞めるなんて」と自分を責めていたけれど、あそこで無理をして本当に潰れていたら、その後の&lt;a class=&#34;link&#34; href=&#34;https://ice-gene.com/post/tensyoku-13-kai/&#34; &gt;13回の転職&lt;/a&gt;も、今の暮らしもなかったかもしれない。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;眠れなくなること、電車に乗れなくなること。それは「弱さ」ではなくて、心と体が「もう限界だ」と教えてくれるサインだ。あのころの自分に会えるなら、「それはお前が悪いんじゃない」と言ってやりたい。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;社会人一年目でつまずいた。中国語という武器も、思ったほどは活きなかった。それでも、あの1年で得た経験——英語の仕事も、寮で食べたトマトと卵の炒め物も、そして「無理をしすぎない」という学びも、確かに自分の中に残っている。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;つまずいたって、やり直せる。氷河期世代の、これはそんな始まりの話だ。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;やってみることに、無駄はない。&lt;/p&gt;&#xA;</description>
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