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        <title>海外生産管理 on ice-gene.com</title>
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        <description>Recent content in 海外生産管理 on ice-gene.com</description>
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            <title>ドーベルマンと諸葛孔明の子孫。中国の縫製工場を管理していた頃の話</title>
            <link>https://ice-gene.com/post/china-factory-kanri/</link>
            <pubDate>Tue, 30 Jun 2026 00:00:00 +0000</pubDate>
            <guid>https://ice-gene.com/post/china-factory-kanri/</guid>
            <description>&lt;p&gt;中国の縫製工場の敷地には、ドーベルマンが放し飼いにされていた。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;何頭もの猛犬が、敷地を自由に走り回っている。日本の工場では、まず見ない光景だった。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;20代後半の一時期、私はこういう中国の工場を相手に仕事をしていた。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;h2 id=&#34;北京留学の中国語が数年後に活きた&#34;&gt;北京留学の中国語が、数年後に活きた&#xA;&lt;/h2&gt;&lt;p&gt;&lt;a class=&#34;link&#34; href=&#34;https://ice-gene.com/post/beijing-ryugaku/&#34; &gt;21歳のときに北京大学へ語学留学した&lt;/a&gt;。その中国語が、まさか数年後の仕事に直結するとは思っていなかった。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;20代後半、私は大手スポーツメーカーの子会社で、&lt;strong&gt;海外生産管理&lt;/strong&gt;の仕事に就いた。契約社員として、期間は1年ちょっと。野球のユニフォームなどを作るアパレルの会社で、&lt;strong&gt;中国の縫製工場を管理する&lt;/strong&gt;のが仕事だった。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;当時の日本のアパレルは、中国の工場に生産を委託するのが当たり前だった。今のベトナムのような立ち位置だ。だから中国出張もよくあったし、現地とのやり取りが日常だった。中国語が話せなければ、たぶんこの仕事には就けていなかったと思う。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;h2 id=&#34;ミシンを守る番犬&#34;&gt;ミシンを守る番犬&#xA;&lt;/h2&gt;&lt;p&gt;冒頭のドーベルマンの話に戻る。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;なぜ猛犬を放し飼いにしていたかというと、縫製工場では&lt;strong&gt;ミシンが盗まれる&lt;/strong&gt;からだ。決して安くない設備が、いつの間にか消えてしまう。その対策が、何頭ものドーベルマンを敷地に放つことだった。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;日本の工場では、設備が盗まれる心配などほとんどしない。番犬にドーベルマンを選ぶというのも、なかなかの力技だ。でも現地では、それが当たり前の防犯だった。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;ものづくりの前提が、そもそも日本とは違う。その違いを、走り回る犬たちが教えてくれた。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;h2 id=&#34;手厚すぎる接待&#34;&gt;手厚すぎる接待&#xA;&lt;/h2&gt;&lt;p&gt;出張のたびに驚いたのが、&lt;strong&gt;接待の手厚さ&lt;/strong&gt;だ。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;こちらは発注する側。大手メーカーの子会社という看板もある。だからか、現地での扱いは「下にも置かない」ものだった。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;&lt;strong&gt;夜は必ず宴会&lt;/strong&gt;だった。海鮮レストランの大きな円卓に、食べきれないほどの料理が次から次へと運ばれてくる。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;中でも覚えているのが、&lt;strong&gt;フカヒレのパイ包み&lt;/strong&gt;だ。スープにパイ生地でフタをして焼いた、宴席の格を示す一品。スプーンで割ると湯気が立ち上る。「ああ、これはちゃんともてなされているな」と感じた。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;中国の宴席といえば**白酒（パイチュウ）**の洗礼で有名だが、「日本人の取引先だから」と無理強いはしてこなかった。最初の数杯付き合えば、あとは大目に見てくれた。そのあたりの線引きも、彼らは心得ていた。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;接待してくれたのは、間に入る日本の商社の人、その商社が取引する中国工場の課長・部長クラス、現地工場を持つ会社の社長、そしてその秘書たち。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;秘書の中に、こんな人がいた。**「諸葛孔明の子孫だ」**という女性。名字が「諸葛（しょかつ）」さんなのだという。三国志のあの諸葛孔明の。本当かどうかはわからないが、そう聞くだけで、なんだか歴史の重みを感じてしまった。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;h2 id=&#34;でも商売は驚くほどしたたかだった&#34;&gt;でも、商売は驚くほどしたたかだった&#xA;&lt;/h2&gt;&lt;p&gt;ところが、もてなしの厚さと、仕事のシビアさは、まったくの別物だった。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;正直に言うと、&lt;strong&gt;品質は良くなかった&lt;/strong&gt;。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;送られてくる製品が、全体的に&lt;strong&gt;よれて、曲がってしまっている&lt;/strong&gt;。同じ方向から縫っていったことで起きたよれだったと思う。そういう不良品が、&lt;strong&gt;数百着単位&lt;/strong&gt;で日本に送られてきた。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;その手直しが、本当に大変だった。日本にある自社の工場や、その周辺の下請け工場に頭を下げて、一着ずつ直してもらう。せっかくコストを下げるために中国に出していたのに、手直しの手間とコストで相殺されてしまう。そんな本末転倒なことも起きた。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;&lt;strong&gt;納期&lt;/strong&gt;もしたたかだった。遅れるなら遅れると言ってくれればいいのに、&lt;strong&gt;こちらに分からないように、しれっと遅らせてくる&lt;/strong&gt;。気づいたときには間に合わない、ということもあった。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;宴席ではあれだけ手厚くもてなしてくれるのに、商売になると一歩も引かない。この&lt;strong&gt;もてなしと駆け引きの落差&lt;/strong&gt;こそが、中国という相手の本質なのかもしれない、と肌で感じた。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;h2 id=&#34;中国ではどこの会社かより誰がやるか&#34;&gt;中国では「どこの会社か」より「誰がやるか」&#xA;&lt;/h2&gt;&lt;p&gt;&lt;a class=&#34;link&#34; href=&#34;https://ice-gene.com/post/beijing-ryugaku/&#34; &gt;北京留学の記事&lt;/a&gt;でも書いたが、当時ある商社の人に言われた言葉を、今でも覚えている。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;&lt;strong&gt;中国では「どこの会社」がやっているかではなく、「誰が」やっているかが大事だ。&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;会社の看板よりも、目の前の人間同士の信頼。接待の厚さも、裏を返せば「この人とは付き合う価値があるか」を見極めるための場だったのかもしれない。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;文化も商習慣も違う相手に、日本のやり方をそのまま持ち込んでもうまくいかない。&lt;strong&gt;相手のやり方を理解した上で、どう折り合いをつけるか&lt;/strong&gt;。それを考えさせられた1年だった。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;h2 id=&#34;あの1年もちゃんと武器になった&#34;&gt;あの1年も、ちゃんと武器になった&#xA;&lt;/h2&gt;&lt;p&gt;契約社員として1年ちょっと。期間だけ見れば短い。&lt;a class=&#34;link&#34; href=&#34;https://ice-gene.com/post/tensyoku-13-kai/&#34; &gt;転職を何度も繰り返してきた私の経歴&lt;/a&gt;の中の、ほんの一コマだ。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;でも、北京留学で身につけた中国語が、巡り巡って仕事として実を結んだ。そして、異文化の相手と渡り合う経験は、その後の仕事人生でも確実に役に立っている。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;氷河期世代は、転職や非正規を繰り返して「自分には何も積み上がっていない」と感じがちだ。私もそう思っていた時期がある。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;でも、一つひとつの経験は、思わぬ形でつながり、武器になる。ドーベルマンの走る工場で学んだことも、今の自分の一部になっている。&lt;/p&gt;&#xA;&lt;p&gt;やってきたことに、無駄はない。&lt;/p&gt;&#xA;</description>
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