40代で軽貨物の個人事業主になった話

結論から言います。3ヶ月で終わりました。

でも、やってよかったと思っています。


なぜ独立しようと思ったのか

きっかけは、職場でのいじめです。

9年近く配属されていた製造課で、いじめにあいました。そして異動した先が、その会社の中で一番きついと言われる部署でした。

「なぜいじめられた上に、こんな目に遭わなければいけないのか」

そう思ったとき、会社員を続けることへの気持ちが、すっと冷めた気がしました。

ちょうど40代になろうとしていた時期でもありました。人生で一度は独立してみたい、という気持ちがずっとあって、このタイミングでやらなければ一生やらないと思いました。

当時、ホリエモンにハマっていました。フェスにも何度か行きました。フェスや本でホリエモンの話に触れるうちに、「どうせなら独立した方がいい」という気持ちが自分の中で強くなっていきました。

自由になりたかった。時間も仕事も、自分で選べる立場になりたかった。

そういう気持ちが重なって、軽貨物の個人事業主として動き始めました。


実態は「下請けの下請け」だった

独立といっても、最初から自分で仕事を取ってきたわけではありません。

地元の会社に紹介してもらう形で仕事をもらっていました。いわば下請けです。車も自前ではなく、その会社からレンタル。月に数万円かかって、これが地味に高かった。

やった仕事はいくつかありました。

まず、岡山の工場への配送補助。別の軽貨物ドライバーが荷物を運び入れるのですが、一人では積み下ろしができないため、現地で落ち合って手伝う仕事です。

次に、ヤマト運輸の外部委託で住宅街を宅配する仕事。令和元年頃の単価は1個あたり150円前後。走れば走るほど体は消耗するのに、お金はなかなかたまらない。

元々、仕事を紹介してくれていた会社は大手家電量販店の家電設置を主な事業としていました。軽貨物の仕事が減るにつれ、エアコン・冷蔵庫・洗濯機の運搬設置の仕事が増えていきました。ありがたい話ではあるのですが、気づいたらその会社の家電設置の従業員みたいになっていました。

スポットで、和菓子工場の製品配達をやったこともあります。ネットで自分で登録して仕事をもらう形も試しました。


珊瑚ビジネスも同時に狙っていた

実は軽貨物と並行して、もう一つ目論んでいたことがありました。

友人が珊瑚の仕事をしていて、当時の中国人バイヤーが珊瑚を積極的に買っていることを知っていました。私は中国語が少し話せます。「仕入れ先は友人が持っている。あとは自分が売りに行くだけだ」と思っていました。

中国・深圳で企業を巡るツアーがあると聞き、参加しました。テンセントやHuaweiを外から見学する内容で、これ自体はなかなか勉強になりました。

ただ、珊瑚は1個も売れませんでした。それどころか、お客になりそうな人に声をかけることすら、一度もできませんでした。

「売る」ということを、甘く見ていたと思います。ガイドさんにも「難しい」と言われていたし、自分でもそう感じました。


3ヶ月でわかったこと

軽貨物の個人事業主は、3ヶ月ほどで終わりました。

お金にならない。思い描いていたものと違う。途中から家電設置の下請けになっていて、もはや軽貨物でもない。

走りながら気づいたことがいくつかありました。

自分はそれほど運転が好きではない。屋内で仕事がしたい。休日や遅くまで働いても残業代がつかない。これで割に合うのか。

そういう気持ちが積み重なって、会社員に戻りました。


それでも、やってよかったと思う理由

3ヶ月で終わった自営業でしたが、今も「やってよかった」と思っています。

稼ぐことの難しさを、体で覚えたからです。

会社員でいると、給料は毎月口座に入ってきます。でも自営業は違う。仕事を取ってこなければ、1円も入らない。会社を長く続けることがどれだけ大変か、経営するとはどういうことか、短い期間でしたが少しだけ実感できました。

その後、会社員に戻ってからも、この経験は自分の中に残っています。会社員しかやったことがない人とは、何かが少し違うと感じています。うまく言葉にはできませんが。


失敗談でも、短期間でも、やってみた経験はなくなりません。

40代で一歩踏み出してみたこと、それ自体は後悔していません。

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