農協の購買課で働いた話:農家相手の仕事は自由すぎた

29歳か30歳のころ、農協で働いていた。

期間は約1年。植木屋を経由して農協に流れ着き、また植木屋に戻っていった。そんな1年だった。


植木屋からの流れで農協へ

28歳のとき植木屋でクビになった話は別の記事に書いた。

その後、現場に来ていた職人さんに拾ってもらって、しばらく植木の仕事を続けた。でも仕事が不安定で、仕事がなくなることもあった。キツさもあった。「このままでいいのか」という気持ちがじわじわと出てきた。

新聞を見ていたら、農協の契約社員の求人広告があった。なんとなく応募したら通った。

採用の面接は集団面接だった。何かのテーマで話し合ってくださいという形式で、議長を決めるところから始まった。立候補して議長をやった。それが評価されたのかどうかはわからないが、採用された。


最初は花卉の市場担当だった

配属の話では、最初は花卉(かき)の市場担当になるはずだった。

ところが教えてくれる人の説明があいまいで、何をどうすればいいのかがよくわからなかった。続けていくのが難しいと感じて、部署を変えてほしいと願い出た。そこで移ったのが購買課だった。


購買課の仕事

購買課は、農薬や肥料を農家に販売する部署だ。

農家の人は農協に「掛け」で買うことが多い。システムに登録してある農家ごとに品物を記帳して、農家が乗ってきたトラックに積み込む。農薬・肥料・犬の餌まで、農家が必要とするものをひと通り扱っていた。

事務と積み込みが半々くらいの仕事で、フォークリフトの免許を持っていたのがここで役に立った。


農家の人たちが自由すぎた

農家の人と関わったことが、それまでの人生でほとんどなかった。

一言で言うと、自由だった。

昼間からお酒を飲んで、そのまま車で肥料を買いに来る人がいた。品物の名前だけ言って出て行く人もいた。引き戸をガラッと開けて「犬の餌」と叫んで、またガラッと閉めて出て行く。それを聞いてみんなが動く。知らない人が見たら、何が起きているのかさっぱりわからない光景だった。

声がやたらでかい人もいた。怒っているわけじゃないが、普通に話しているだけで迫力がある。

農家の人は商売があまり得意じゃない人が多いように見えた。すごい品質のものを作るけど、コストは考えない。手間をかけてこだわった農作物を作っているのに、儲けていない。そういう人がいた。作ること自体が目的になっていて、売ることへの関心が薄いように見えた。天才だけど商売が下手、という言葉がぴったりくる人たちだった。


途中から給与計算も担当した

購買課にいる間に、もうひとつ仕事が増えた。

詰め込み作業を担当するパートの人たちがいて、その給与計算をしていた担当者が産休に入った。代わりに自分がやることになった。

毎月の給与計算と、年末調整。人事的な仕事を初めて経験した。当時はそれなりに大変だったが、今思えば貴重な経験だったと思う。


植木屋から「戻ってこい」と連絡が来た

約1年働いたところで、以前の植木屋の人からメールが来た。「合流せよ」という内容だった。

また植木の仕事をやりたいという気持ちがあった。植木の方が面白そうだという気持ちもあった。農協を辞めて、植木屋に戻った。

今思えば、農協を続けていればよかったと思うこともある、という程度だ。植木屋は不安定で、体もキツかった。結局その植木屋も辞めることになった。あのとき農協に残っていたら、どうなっていただろうと考えることがある。


農協で働いて残ったもの

農家の人と関わる仕事は、それまでの人生で一度もなかった。全然違う世界の人たちと1年間関わったことは、非日常的な経験だった。

スキルとして身についたものは多くはなかった。事務の仕事と、フォークリフトを使った積み込み。でも、フォークの免許があってよかったとは思った。

「農協で働いていた」という経験は、なかなかできることじゃない。1年間の寄り道だったけれど、自分の転職録の中では、ちょっと変わった1ページになっている。

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