中国の縫製工場の敷地には、ドーベルマンが放し飼いにされていた。
何頭もの猛犬が、敷地を自由に走り回っている。日本の工場では、まず見ない光景だった。
20代後半の一時期、私はこういう中国の工場を相手に仕事をしていた。
北京留学の中国語が、数年後に活きた
21歳のときに北京大学へ語学留学した。その中国語が、まさか数年後の仕事に直結するとは思っていなかった。
20代後半、私は大手スポーツメーカーの子会社で、海外生産管理の仕事に就いた。契約社員として、期間は1年ちょっと。野球のユニフォームなどを作るアパレルの会社で、中国の縫製工場を管理するのが仕事だった。
当時の日本のアパレルは、中国の工場に生産を委託するのが当たり前だった。今のベトナムのような立ち位置だ。だから中国出張もよくあったし、現地とのやり取りが日常だった。中国語が話せなければ、たぶんこの仕事には就けていなかったと思う。
ミシンを守る番犬
冒頭のドーベルマンの話に戻る。
なぜ猛犬を放し飼いにしていたかというと、縫製工場ではミシンが盗まれるからだ。決して安くない設備が、いつの間にか消えてしまう。その対策が、何頭ものドーベルマンを敷地に放つことだった。
日本の工場では、設備が盗まれる心配などほとんどしない。番犬にドーベルマンを選ぶというのも、なかなかの力技だ。でも現地では、それが当たり前の防犯だった。
ものづくりの前提が、そもそも日本とは違う。その違いを、走り回る犬たちが教えてくれた。
手厚すぎる接待
出張のたびに驚いたのが、接待の手厚さだ。
こちらは発注する側。大手メーカーの子会社という看板もある。だからか、現地での扱いは「下にも置かない」ものだった。
夜は必ず宴会だった。海鮮レストランの大きな円卓に、食べきれないほどの料理が次から次へと運ばれてくる。
中でも覚えているのが、フカヒレのパイ包みだ。スープにパイ生地でフタをして焼いた、宴席の格を示す一品。スプーンで割ると湯気が立ち上る。「ああ、これはちゃんともてなされているな」と感じた。
中国の宴席といえば**白酒(パイチュウ)**の洗礼で有名だが、「日本人の取引先だから」と無理強いはしてこなかった。最初の数杯付き合えば、あとは大目に見てくれた。そのあたりの線引きも、彼らは心得ていた。
接待してくれたのは、間に入る日本の商社の人、その商社が取引する中国工場の課長・部長クラス、現地工場を持つ会社の社長、そしてその秘書たち。
秘書の中に、こんな人がいた。**「諸葛孔明の子孫だ」**という女性。名字が「諸葛(しょかつ)」さんなのだという。三国志のあの諸葛孔明の。本当かどうかはわからないが、そう聞くだけで、なんだか歴史の重みを感じてしまった。
でも、商売は驚くほどしたたかだった
ところが、もてなしの厚さと、仕事のシビアさは、まったくの別物だった。
正直に言うと、品質は良くなかった。
送られてくる製品が、全体的によれて、曲がってしまっている。同じ方向から縫っていったことで起きたよれだったと思う。そういう不良品が、数百着単位で日本に送られてきた。
その手直しが、本当に大変だった。日本にある自社の工場や、その周辺の下請け工場に頭を下げて、一着ずつ直してもらう。せっかくコストを下げるために中国に出していたのに、手直しの手間とコストで相殺されてしまう。そんな本末転倒なことも起きた。
納期もしたたかだった。遅れるなら遅れると言ってくれればいいのに、こちらに分からないように、しれっと遅らせてくる。気づいたときには間に合わない、ということもあった。
宴席ではあれだけ手厚くもてなしてくれるのに、商売になると一歩も引かない。このもてなしと駆け引きの落差こそが、中国という相手の本質なのかもしれない、と肌で感じた。
中国では「どこの会社か」より「誰がやるか」
北京留学の記事でも書いたが、当時ある商社の人に言われた言葉を、今でも覚えている。
中国では「どこの会社」がやっているかではなく、「誰が」やっているかが大事だ。
会社の看板よりも、目の前の人間同士の信頼。接待の厚さも、裏を返せば「この人とは付き合う価値があるか」を見極めるための場だったのかもしれない。
文化も商習慣も違う相手に、日本のやり方をそのまま持ち込んでもうまくいかない。相手のやり方を理解した上で、どう折り合いをつけるか。それを考えさせられた1年だった。
あの1年も、ちゃんと武器になった
契約社員として1年ちょっと。期間だけ見れば短い。転職を何度も繰り返してきた私の経歴の中の、ほんの一コマだ。
でも、北京留学で身につけた中国語が、巡り巡って仕事として実を結んだ。そして、異文化の相手と渡り合う経験は、その後の仕事人生でも確実に役に立っている。
氷河期世代は、転職や非正規を繰り返して「自分には何も積み上がっていない」と感じがちだ。私もそう思っていた時期がある。
でも、一つひとつの経験は、思わぬ形でつながり、武器になる。ドーベルマンの走る工場で学んだことも、今の自分の一部になっている。
やってきたことに、無駄はない。