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転職13回の私が、唯一10年続いた会社の話。天国で始まり、地獄で終わった

転職13回の氷河期世代が唯一約10年続いた医療材料メーカーの話。年間休日125日の真面目な職場は天国だった。でも同僚のいじめで一番きつい部署へ——天国と地獄の10年から学んだことを正直に綴ります。

転職13回。その中で、唯一10年続いた会社がある。

30代の初めから40代の初めまで、およそ10年。医療に使う材料を作る、地方のメーカーだった。

なぜ、転職を繰り返してきた私が、そこだけ10年続いたのか。そして、なぜ辞めたのか。今日はその話を正直に書く。

狙いは「年間休日125日」だった

その会社は、ハローワークで見つけた。

志望動機は、立派なものではない。年間休日が125日くらいあったからだ。それまでの私は、植木屋、植木屋のときの無賃での営業回り、土木建設のアルバイト、日替わりの派遣仕事——と、労働条件という概念があるのかないのか分からない世界を渡り歩いていた。感覚がおかしくなっていたのだと思う。それが普通だと思っていた。

だから求人票の「年間休日125日」という数字が、異世界のように見えた。

医療材料がどんなものかは、正直イメージできなかった。でも「入ればなんとかなる」と思っていた。

「え、めっちゃ真面目やん」

面接に行く前、私はこんな職場を想像していた。

おじさんたちが働く、汚くて空気の悪い工場。植木屋みたいな荒っぽい職場に、毛が生えた程度のところだろう、と。

ところが、面接してくれたのは、真面目で賢そうな開発プロジェクトのリーダーだった。入ってみると、職場には若い人が多い。みんな穏やかに、まともに働いている。

「え、めっちゃ真面目やん」

それが第一印象だった。そして何より感動したのは——冷房の効いた屋内で働けること。外で汗と土にまみれてきた身には、それだけで天国だった。

素手でアルコールに突っ込んだ

最初の配属は開発部門。製品開発の補助として入った。

薬品の知識がないうちは、いろいろやらかした。仕事の道具をアルコールで洗う作業があるのだが、誰も何も教えてくれなかったので、手袋もつけず素手でアルコールの中に手を突っ込んで洗っていた。後日、手の皮がボロボロに剥けた。

一方で、開発の報告書の作り方を学べたのは大きかった。実験して、まとめて、報告する。この型は、その後の仕事人生でもずっと役に立っている。10年経った今でも使っている財産だ。

製造の7年

私はもともと量産実験の要員として入ったので、その製品を実際に作る製造部門へ移った。これは順当な異動だった。そこから7年ほど、材料の製造工程をひと通り担当した。

きつかった仕事もある。フォークリフトに乗れるということで、排気処理装置(スクラバー)の清掃を任され、さらには廃液を運ぶ8トントラックの運転までやらされた。「資格を持っている」と言うと仕事が増えるのは、どこの職場でも同じらしい。

職場には、高学歴だけど仕事はあまりできない、という人もちらほらいた。勉強ができることと、仕事ができることは、別の能力なのだと知った。

なぜ10年続いたのか

理由ははっきりしている。

  • 年間休日125日。ちゃんと休める
  • 職場環境。冷房の効いた屋内で、設備も整っている
  • そして何より、植木屋の親方のようなパワハラをする人が、開発にも製造にもいなかった

「植木屋と比べてマシ」——身も蓋もないが、これが一番大きかった。通勤は車で片道1時間かかったし、辞めたいと思う時期もあった。それでも「あの世界には戻りたくない」という思いが、私をこの会社に留めた。

いじめが始まるまでは、居心地は悪くなかった。

同僚のいじめ、そして一番きつい部署へ

製造にいたころ、同僚が私をいじめてくるようになった。

上司に報告した。すると、いじめはさらにエスカレートした

耐えかねて、部署異動を願い出た。そうして回されたのが、社内で一番きついと言われる排水処理の部署だった。被害を訴えた側の私が、一番きつい場所に行く。そして、いじめてきた人間は、なぜか出世していた。理不尽だと思ったが、そういうものだった。

排水プラントの仕事は、かなりきつかった。このころ、本気で「辞めたい」と思うようになった。

40代、怖いより「嫌」が勝った

そして実際に、辞めた。40代に入ったばかりのころだった。

10年勤めた会社を辞めるのは怖くなかったか、とたまに聞かれる。正直に言うと、怖いより「嫌」が勝っていた

理不尽な命令を聞くこと。上から押さえつけられること。それがもう嫌だった。会社を出て、自分で自由にやってみたい。人生で、そういう時期があってもいいんじゃないか——そう思った。在職中から起業を考えて、当時勢いのあった中国の上海や深圳を自分の目で見に行ったりもした。

その挑戦が軽貨物の個人事業主で、3ヶ月で廃業するのだが——それはまた別の話だ。

天国で始まり、地獄で終わった

この10年を振り返ると、こうなる。

最初は天国だった。 植木屋や日雇いの世界から来た私には、冷房と休日と、まともな人たちがいる職場は、それだけで天国だった。

最後は地獄だった。 同僚のいじめ。訴えたらエスカレートし、逃げた先は一番きつい部署。あのいじめは、何だったのだろう。妬みだったのだろうか。今でも分からない。

人生は、どう転ぶか分からない。同じ会社の中でさえ、天国にも地獄にもなる。

ただ、あの地獄があったから、私は考えた。こんな環境で会社にしがみついて生きていくより、自分の力で生きていく方がマシじゃないか、と。その問いが、その後の挑戦につながり、失敗も含めて、今の私を作っている。

10年続いた会社も、13回の転職のうちの1回として終わった。それでも、あそこで学んだ報告書の書き方も、薬品の知識も、理不尽との付き合い方も、全部いまの武器になっている。

やってみることに、無駄はない。